街頭テレビは ≪昭和・テレビ・秋葉原≫
不特定多数の人が集まる場所に設置されたテレビ受像機。
テレビジョン放送およびTV(製品)の普及初期には随所に置かれ、大変な人気を博した。戦後におけるテレビ放送は、1950年11月からの定期試験放送期間を経て、1953年2月1日にNHK東京で、次いで同年8月28日には日本テレビ放送網が本放送を開始したが、輸入品が多くを占めていた受像機は当時の会社員の年収数年分に相当する高額であり、一部のアマチュア無線家らが自作していた他は、庶民には高嶺の花でなかなか普及しなかった。
日本テレビを率いる正力松太郎は、普及促進とスポンサー獲得のためキャラバン隊による移動宣伝の他、繁華街、主要鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所に受像機を常設し、テレビの魅力を直接訴える作戦に打って出た。
それ以前、試験放送時代から既に街頭テレビは幾つも存在していたが、大々的な展開は正力によってで、小さい画面にもかかわらず、特に人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には観衆が殺到した。
この大成功に触発され、放送局のみならず、受像機製造メーカーや販売店も競って街頭テレビを設置し、自社製品の優位性を訴えた。
テレビジョン放送およびTV(製品)の普及初期には随所に置かれ、大変な人気を博した。戦後におけるテレビ放送は、1950年11月からの定期試験放送期間を経て、1953年2月1日にNHK東京で、次いで同年8月28日には日本テレビ放送網が本放送を開始したが、輸入品が多くを占めていた受像機は当時の会社員の年収数年分に相当する高額であり、一部のアマチュア無線家らが自作していた他は、庶民には高嶺の花でなかなか普及しなかった。
日本テレビを率いる正力松太郎は、普及促進とスポンサー獲得のためキャラバン隊による移動宣伝の他、繁華街、主要鉄道駅、百貨店、公園など人の集まる場所に受像機を常設し、テレビの魅力を直接訴える作戦に打って出た。
それ以前、試験放送時代から既に街頭テレビは幾つも存在していたが、大々的な展開は正力によってで、小さい画面にもかかわらず、特に人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には観衆が殺到した。
この大成功に触発され、放送局のみならず、受像機製造メーカーや販売店も競って街頭テレビを設置し、自社製品の優位性を訴えた。
update:2009年10月05日
